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江戸時代に日本で生まれた伝統的な話芸、落語。歌舞伎などとは違いひとりで何役も演じ分け、扇子や手拭のみであらゆるものを表現しなければいけません。高度な技を必要とする、とてもシンプルな日本の伝統芸能です。
そんな落語が実は仏教と関係していたことを知る人は、少ないのではないでしょうか?仏教を知れば落語は何倍も楽しめる、といわれています。今回は落語が仏教と縁の深い芸能であることについて、詳しく書いていきます!
■落語はどのように誕生したのか?
そもそも落語はどのように生まれたのでしょうか。まずはそこから歴史を紐解いていきましょう。
今よりずっと昔、お坊さんは村の人々を寺に集めて仏教の話を聞かせていました。それがお説教と呼ばれるものです。そのお説教の極意が「初めしんみり、中おかしく、しまい尊く言い習わし」というもの。最初は静かに語り、途中は村人たちが退屈しないように面白い話をして、最後は仏の教えで終わるという意味です。落語はこの「中おかしく」のところが発展したものだといわれています。
落語の祖と呼ばれている安楽庵策伝は豊臣秀吉のお抱え噺家でしたが、元は浄土真宗の説教師でした。策伝が遺した話には最後に落ちがついていて、現代の落語の母体となっています。策伝は難しいお説教を面白おかしく説教していました。
江戸時代になるとたくさんの噺家が登場し、有料で噺を聞かせる場所ができました。それが「寄席」です。
落語家が座る舞台を「高座」といいますが、元々高座はお説教をする場所を指していました。和服で座布団に座る落語の形は、仏教のお説教の影響が残っていると言えます。さらに落語で使う手拭のことを「まんだら」と呼びますが、四角く模様がついている様子を曼荼羅に見立てたとされています。ちなみに「客に受ける」、という言葉も「受け念仏」が語源です。
■落語は仏教の知恵の宝庫
仏教は人類の知恵の結晶とされていて、そこから生まれた落語のネタにも多くの宗教知識が盛り込まれています。
誰もがよく知る「寿限無」では、子供の名付け方に仏教の知識が豊富に含まれていたり、「お文さま」というネタは浄土真宗信仰が背景になっていたりします。他にもこんにゃく問答や野ざらしなども仏教と深い関係のあるお話です。これらは仏教を知っているかどうかで面白さが大きく変わることでしょう。
落語は仏教の教えを知り有難がるための方法でもありますが、人間の業や仏法、僧侶までも笑いの対象にしてしまう特殊な芸能でもあります。すべては関係し合って一時的に存在しているという仏教の教えを根底に、論理的な正しさを外し大笑いできる特性があります。
■落語の原点『醒酔笑』
醒睡笑は先にご紹介した元僧侶の安楽庵策伝が書いた、笑い話が集められたもの。醒睡笑は、眠気が覚めるほど笑えるという意味があるのだとか。策伝が小僧の頃から聞いてきた膨大な数の笑い話が、八巻の冊子にまとめられています。
醒睡笑でもっとも有名なお話があります。
あるお寺の小僧が夜中に長い棒を持ってウロウロしていました。住職が「なにをしている」と聞くと、小僧は「空の星がほしいので落とそうとしていますが、どうしてもできません」と答えます。それに対し住職は「おまえは馬鹿だ。頭が悪い。そこからではとどかないから屋根へ上れ」というのでした……。
このように、短くてくすっと笑える話がたくさん書かれています。
落語の語源は「落とし話」からきていて、醒睡笑にもオチのある話ばかり。お説教の種本でもあるため、笑い話だけではなくまじめなお話もたくさんあります。現代語訳されたものもあるので、興味のある方はぜひ一度読んでみてはいかがでしょうか。